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2012年02月12日
伊豆の国市:韮山反射炉って知っていますか?
伊豆の国市中字鳴沢入にある「韮山反射炉」に寄ってみました。
入場料は、100円です。(^。^)
韮山反射炉は・・・・世界遺産登録候補になりました。
伊豆の国市の文化振興課によると (一部抜粋)
嘉永6年(1853)のペリー来航により、日本は外国の脅威にさらされました。
江戸湾海防の実務責任者となった江川英龍(坦庵)に対して、幕府は江戸
内湾への台場築造と平行して、反射炉の建造を許可します。
江川英龍(坦庵)は反射炉の竣工を見ることなく病死してしまいます。
後を継いだ江川英敏は、蘭学の導入に積極的で、反射炉の建造も行っ
ていた佐賀藩に応援を求め、技師の派遣を要請しました。
その結果、安政4年(1857)11月、反射炉は着工から3年半の歳月を
かけて、ようやく完成したのでした。
完成した反射炉では、元治元年(1864)に使用が中止されるまでに、
数多くの西洋式大砲が鋳造されました。
これらの大砲は品川台場に28門配備されたといわれています。
詳しいことはこちらで ↓
http://www.city.izunokuni.shizuoka.jp/bunka/bunkazai/hansyaro.jsp
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観光バスも多く訪れ、賑わっていました。
入場料は、100円です。(^。^)
韮山反射炉は・・・・世界遺産登録候補になりました。
伊豆の国市の文化振興課によると (一部抜粋)
嘉永6年(1853)のペリー来航により、日本は外国の脅威にさらされました。
江戸湾海防の実務責任者となった江川英龍(坦庵)に対して、幕府は江戸
内湾への台場築造と平行して、反射炉の建造を許可します。
江川英龍(坦庵)は反射炉の竣工を見ることなく病死してしまいます。
後を継いだ江川英敏は、蘭学の導入に積極的で、反射炉の建造も行っ
ていた佐賀藩に応援を求め、技師の派遣を要請しました。
その結果、安政4年(1857)11月、反射炉は着工から3年半の歳月を
かけて、ようやく完成したのでした。
完成した反射炉では、元治元年(1864)に使用が中止されるまでに、
数多くの西洋式大砲が鋳造されました。
これらの大砲は品川台場に28門配備されたといわれています。
詳しいことはこちらで ↓
http://www.city.izunokuni.shizuoka.jp/bunka/bunkazai/hansyaro.jsp
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観光バスも多く訪れ、賑わっていました。
Posted by 野村りょう子 at 23:22│Comments(0)
│歴史・文化・芸術
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